なにもできない

なにもできないから何か書く

コーヒーは大人の飲み物

子供の頃、コーヒーはそれほど好きではなかった。苦味や酸味は「おいしい味」ではなく、複雑な匂いも理解ができず謎めいた飲み物だった。しかし、いつしか苦手だった苦味酸味を面白く感じるようになり、チェリーやベリー、ナッツなどに例えられる複雑な匂いも完全な理解はしなくても、複雑なまま楽しめる「素敵な香り」と思うようになっていた。

 


個人的にこれは「大人になった」からだと考えている。子供は単純でわかりやすい刺激を好み、気に入った世界や安全が確保された世界から外に出ようとはあまりしない。それは子供なりの身を守る術だとは思うが、ずっとそうしていることはできない。成長するにつれ外の世界へ踏み出していく必要があり、受け入れる世界を広げていくのが大人になるということなのだ。つまり大人になるとは「受け入れる」ということである。

 


そして気をつけたいのが、受け入れると同時に何かを否定してしまうことだ。「大人」というものを意識した時、それまで自分の世界にあったものを「子供のもの」として否定してしまう危険がある。大人になるとは文字通り世界を「広げる」ことであって、「乗り換える」ことではない。もしそこを間違ってしまうと、子供を卒業した「大人の世界」という限定された世界にこだわり、それ以外を受け入れないということになってしまう。それはつまり先に述べた「子供」のすることなのだ。

 


もちろん何でもかんでも受け入れるのは安全ではないだろうしそれが正解とは限らない。やろうにも難しいこともあるかもしれない。常に外の世界に扉を開くというのも疲れるもので、たまには閉ざす時があってもいいとは思う。でも人として生きていく上で「受け入れる」ということはとても大切なことなのではないか。

そんなことを一杯のコーヒーを飲みながら考えた。